その4 宗教観と女性問題
 よく,信仰の厚い国では宗教の話をするのはタブーみたいなことをいいます。でも,私は信仰はありませんが,宗教それ自身には興味があるので,けっこう話します。ニュースなどではイスラム社会にまつわる大事件が連日報道されるので,以前は私もけっこう危ない宗教だなと思っていました。敬けんなイスラム教徒の留学生の一人が,“イスラムは平和な宗教なんだ”と私に詳しく説明をしていたのですが,それでもちょっと疑っていました。パキスタンでも,一緒に仕事をしていた女性たちや運転手さんとたくさん宗教の話をしました。
 科学者は“疑う”のが仕事みたいな職業なので,“信じる”ところから始まるものについては,つい疑ってしまいます。イスラム教は女性にやさしい宗教だというのですが,これについても,価値観の違いみたいなものは感じます。母性を認めるということと,ジェンダーを固定化することは明らかに違うと思うのですが,女性にやさしいという時,これらはしばしば混同されます。
 イスラム社会において女性が大切にされていると,本当かな?と思うことは多々あります。たとえば,私たちを招いて下さったパキスタン人のお宅で,奥さんがたくさんのお料理を一日中かかって準備して下さったのに,男性もいる居間には全く出てこなかったことがあります。私はお礼をいいたかったし,おしゃべりをしたかったので,台所にはいって行き,寝室でおしゃべりをしました。きちんと英語の話せる教育を受けた女性で,ほがらかでおしゃべりでとても素敵な方だったのです。外出の時はブルカ(顔と身体をすっかり隠す服です。)をつけるのだそうで,付け方も実演してくれました。隣家に出かける時はドバタ(大きなショールみたいな布)で顔を隠していくそうです。とても楽しく話しましたが,私はブルカを試着する気にはなれませんでした。
 パキスタンの家庭では女性が大切にされていることは事実のようで,子供達は母親を尊敬しているし,教育レベルの高い家庭では嫁の立場も強くて大切に扱われているのを目にすることもありました。でも,ホームパーティに参加させてもらえず,人目を忍んで外出する話を聞くと,なんだかなあ...と思います。アビダさんやノシーンさんによると,今ではそのような家庭は少ないようではあります。でも,自分の婚約者の写真は撮らせないなどと言っていた若い人もいました。こういうところで,“子を生み育てる人は尊敬し,大切にしなければならない”から差別ではなく区別なんだと言われても,それとこれとは話がちがうんじゃないの?といいたくなります。
 女性がお祈りの時にモスクの中には入れないことはよく知られています。モスクの外に女性用の席を設けるのだそうです。大きなモスクは数万人も一度にはいることができるのですが,家族で出かけても同じところには座れないのです。たぶん理由はあるんだろうけど,不合理ではないでしょうか。だいたい,そんな人の多いところで,家族が別々になれば,お祈りが終わった後,探しあうのもたいへんじゃないか,と思うのは私だけでしょうか。
 戒律にしたがわなければ,女性も自由に生きられるのにと思うのですが,そんなには単純ではないようです。4歳の時からコーランを読むことを習い始め,宗教とともに生活があるので,そこから自由になるというのは考えるにも値しないのかも知れません。私が“作業の手を休めてお祈りするのも面倒なものだな”とアビダさんに言ったら,“Religion is beautiful. (宗教は美しい)”と言われてしまいました。考えてみれば,私だってすべてのものから自由であるわけではなく,大学や教室や学会や家庭にしばられているわけだから,それに宗教が加わったところで,どうってことはないのだ,と思うに至ったのでした。それに,なにより,平和な生活を維持するのに宗教が大きな役割を果たしていること,この事実は重要です。留学生の説明は正しかったのだと,今ではすっかり納得しています。
 それでも,私はイスラム教徒にはなれないな...お酒が好きだし...

益田晴恵のホームページへ