『ADHM 構成』歴史おぼえがき


以下の文章は,2002 年 8 月 1 日から 5 日まで慶応義塾立科山荘で行なわれた勉強会『指数定理からゲージ理論へ IV』における講演を補うために用意した原稿に加筆したものです.

1.西から東から

ADHM の論文が出た 1978 年といえば,ソ連のアフガン侵攻(1979)とそれにつづく西側諸国のモスクワ五輪(1980)ボイコットの直前である.4 人の共著だが 4 人の共同研究ではなかった.オクスフォードの Atiyah,Hitchin とモスクワの Manin,Drinfeld が同時かつ独立に結果を得たもので,Atiyah と Hitchin が最後の詰めを朝から議論した末「できた!」と思って意気揚々と昼食に行ったのだが,オフィスにもどると Manin から手紙が届いていて,それには Atiyah たちと同じ結果とともに「おそらくあなたがたもこれの理解に達しているでしょうが!」と記されていたという.

(Atiyah,Drinfeld はフィールズ賞受賞者である.受賞者どうしの共著論文としては,他に Deligne-Mumford が有名である.ノーベル賞とフィールズ賞の組合せだと,Weinberg-Witten というのがある.)

2.素粒子論か場の理論か

物理サイドでは,素粒子論がこの 1970 年代後半に一つの転機にさしかかろうとしていた.その話に行くまえに,ここで素粒子論の歴史をふりかえっておこう.

素粒子論は湯川秀樹の中間子論に始まる.彼の理論には二つの特徴があった.一つは新粒子を導入したこと,もう一つは場の理論の枠内にとどまったことである(『場の理論』は平坦な抑揚で読むこと).一方,西洋を中世から近代へと移行せしめた『オッカムの剃刀』という格率のせいなのか,ヨーロッパの物理学者たちは新粒子の導入に慎重であり,また,若き日に量子力学の開拓者たちであった彼らは,subatomic な領域に足をふみいれるにあたり,自分たちがつくりあげた量子力学を惜しげもなく捨てるというより過激な方向にむしろ魅力を感じていた.それほど元気な人たちだったのだ.東洋人であって西洋近代の格率のもとにいなかったことと,時期的・地理的要因により量子力学に後から追随する位置にいたことが,湯川を独創的にした,という見方もある.(小平邦彦の複素多様体論についても同様のことが言えるかもしれない.)

その後,加速器実験や宇宙線観測により数々の新粒子が発見され,それらは最終的にクォーク模型にまとめられた.場の理論の方はと言うと,今でこそそれが現時点で人類が手にしている知的財産のうちの最高のものの一つであることは疑いないが,その道のりは決して平坦ではなかった.何度も捨て去られそうになりながら,そのたびに新しい着想――くりこみ(このように重要な概念をこのようにこなれた日本語でよぶことができるのは,もちろん朝永振一郎のおかげである),Feynman 図,経路積分,非アーベル・ゲージ場,ゴースト,Higgs 機構,くりこみ群,漸近的自由などなど――があらわれて危機をしのいできたのである.

1970 年代に入って,'t Hooft らにより非アーベル・ゲージ理論のくりこみ可能性が証明され,ついに摂動論的場の理論が勝利をおさめる形で一つの決着を迎える.(彼はこの業績で 1999 年にノーベル物理学賞を受賞することになる.)関心は非摂動的効果へとうつっていった.その新たなステージで Mr. ゲージ理論 't Hooft と鎬を削ったのが Polyakov であった.彼らは独立に,クォーク閉じこめ問題にからみ非アーベル・ゲージ場のモノポール(現在 't Hooft-Polyakov モノポールとよばれている)を思いつく.つづいて U(1) 問題の解決として,Belavin-Polyakov-Schwartz-Tyupkin (BPST) の pseudo-particle = 't Hooft のインスタントン(こちらの名が市民権を得た)が提示された.なお,Belavin,Polyakov は共形場理論の Belavin-Polyakov-Zamolodchikov (BPZ) でも一緒にやっている.くりこみの BPHZ は Bogoliubov-Parasiuk-Hepp-Zimmermann なので別.最近よく聞く BPS は Bogomolnyi-Prasad-Sommerfield で,BPST とは一人も重なっていない.他にゲージ場の量子化の BRS(T) (Becchi-Rouet-Stora(-Tyutin)),超伝導の BCS (Bardeen-Cooper-Schrieffer) というのもあってややこしい.(Bardeen はこの超伝導の仕事とトランジスタの発明とで,2度ノーベル物理学賞に輝いている.Einstein や Witten とは少し違った方向の大スターである.)

3.現代数学という衝撃

話をもどそう.つづいて物理学者たちの競争は多重インスタントンへと向かう.アノマリーの Jackiw や当時まだ無名の Witten も参戦してきた.そんな中, 4 人の数学者が 4 次元ユークリッド空間上の多重インスタントンを完全に分類した論文を Physics Letters に提出した.それが ADHM である.物理学者にとって重要かつホットな問題に対し,そのさなかに数学者のみによるインパクトある仕事が提出される,というのは過去に例のないことではなかったか.しかもその手法が,それまで物理学者たちには全くなじみのなかった代数幾何という分野の,それも層係数コホモロジーの言語で書かれた現代的なものであった.Polyakov は「現代数学が役に立つのをはじめて見た」と周囲に漏らしたと伝えられる.この衝撃が若き日の Witten の眼を現代数学へと向けるきっかけとなったのではないかと推察される.

数学サイドでは,Atiyah や Hitchin をゲージ理論へといざなったのはおそらく Singer であろう.当時,同時代の理論物理が直面している問題意識に通じていた数学者は,西側では彼くらいだったのではなかろうか.また,近くにいた Penrose や Ward の影響も大きかったろう.

4.印度土産

さて,ADHM とほぼ同時に物理学者の方でも BPST の一人 Schwartz が同様の結果に達していたらしい.Atiyah は物理学者の世界の競争の激しさにとまどいながらも,今自分がおかれている状況にかつてないスリルをおぼえていた.

ちょうどそのころ,そんな Atiyah たちをよそに,所は変わってインドのタタ研究所,木陰にデスクを出してもらってのんびり海をながめる毎日を送りながら,一人の数学者が sabbatical year を満喫していた.われらが Bott 先生である.愉快なインド滞在を終えた Bott はオクスフォードに盟友 Atiyah をたずねた. Bott はこのときのことをふりかえって,「Atiyah はすっかり舞い上がっていて "mathematical high" の状態だったんだ」と述懐している.どうやら知らぬ間に大きな事件がおこっていたらしい.ところが,興奮しながらインスタントンの説明をまくしたてる Atiyah の声が,インドで聞いたリーマン面上の正則ベクトル束のモジュライの謎を語るバラモンの数学者 Ramanan の静かな声に不思議と響きあうのであった.こうして Atiyah-Bott のリーマン面上の Yang-Mills ゲージ理論が生まれる.それは,Bott が若いときから追い求めてきたモース理論の新局面を切り開くものであった.

Bott は各地の物理学者たちの前で,Atiyah と彼とのゲージ理論について講演して回ったのだが,その反応は熱いものではなかった.しかしそんな中にあって一人の男が鷹のように Bott のことばを追ってきた.Witten である.彼は Bott の講演から,後に言う Witten のモース理論を着想する.後日,Bott は彼から一通の手紙を受けとる.そこには,「Bott 先生,わたしはついにモース理論がわかりました!」と記されていた.それは奇しくも,かつての弟子 Smale が直伝のモース理論にさらに磨きをかけついに高次元ポアンカレ予想を解決したときに Bott に告げたのと同じことばだったという.

5.あれでもなくこれでもなく

Donaldson や Kirwan といった "Atiyah の子どもたち" は,Bott の来訪を毎回サンタを待つように楽しみにしていたという.Donaldson の論文 "An application of gauge theory to four dimensional topology" の題が Bott の若い頃の論文の題と似ているところに,そのあたりの雰囲気が表れているように思う.Donaldson のこの論文は,ADHM とも Atiyah-Bott とも違う道を切り開くものであった.すぐ近くで誕生した ADHM も Atiyah-Bott も深い理論であり,また当時できたばかりだからやることはたくさんあったはずである.事実 Donaldson はそれぞれに関連する仕事もしている.しかし彼は,それとは別に 4 次元トポロジーへの応用という思いもよらぬ方向へと一歩を踏み出した.彼の理論は,Rochlin の定理しかなかった 4 次元トポロジーの状況を打開しただけでなく,異種 4 次元ユークリッド空間という存在をわれわれに示してくれた.こんなものがあると知っただけでも数学を勉強した甲斐があったというものではないか.Witten はこう言っている,「Donaldson 理論は時空の幾何を理解する鍵である.」


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