ことば


(アンドレ=ヴェイユ,数学の将来)

本を読む気もしませんでしたので私はいたずら書きをしていました.その Waste という字は書き易い字であるのか──筆のいたずらに直ぐ書く字がありますね──その字の一つなのです.私はそれを無暗にたくさん書いていました.そのうちに私の耳はそのなかから機を織るような一定のリズムを聴きはじめたのです.手の調子がきまって来たためです.当然きこえる筈だったのです.なにかきこえると聴耳をたてはじめてから,それが一つの可愛いリズムだと思い当てたまでの私の気持は,緊張と云い喜びというにはあまりささやかなものでした.然し一時間前の倦怠ではもうありませんでした.私はその衣ずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました.

(梶井基次郎,橡(とち)の花──或る私信──)

色々な科学の分野があり,一般的に縦割りになっている.普通の科学というのを縦糸とすれば,数学というのは横糸であるべきである.横糸だからこそ,あまり評価されない.すぐに何かの役に立つのか,と言われるかもしれないが,数学者は一生懸命横糸をつくっている.横糸のない布というのがどんなものかというのは,想像できると思う.

数学は歴史的に見れば最初は簡単に,「数」と「形」という2つの柱で進んできたが,17世紀ごろからニュートンとかライプニッツとかが出てきて,動きに対する,「変化・変動」に対する数学という3つ目の柱ができた.これが非常に数学の応用範囲を広げた.つまり,数学には「数」と「形」と「動き」の3つの柱がある.この点は,小学生の教育から始めて,数学の教育をしている人の全てが,はっきり頭の中に入れておいたほうが良いと考える.

(広中平祐,ワークショップ「数学の将来シナリオを考える」

人から見て長く見えるのはわかっています.でも自分ではまだ短いように思うのです.

(加藤一二三,ネクタイの結び方について質問されて)

Sleep with problem. (Raoul Bott)

合理的に考えることができた数学者を私は知らない.

(プラトン,国家)

工場に入って,びっくりしたことのひとつが,百分の一ミリというものだった.

わたしをふくめて従業員がたった三人という小さな町工場で,最初は雑役をした.機械のまわりを掃除したり,機械に油を注したりの雑役で,そのころの機械工は職人といわれ,わたしのような見習工は小僧だった.雑役をしながら,鋼を削っている職人たちの図面を見ると,百分の一ミリ単位の数字が並んでいる.たとえば五十ミリの太さのシャフトのところには,φ+0-0.03という指定がある.直径五十ミリ,プラスはゼロ,マイナスは百分の三ミリまではよい,という意味である.

職人たちは,朝から晩まで,鼻うたまじりでハンドルをまわしたり,くわえたばこで計測して仕事をしている.鋼のかたまりを,もりもりと削る.熱した刃先に油をかけると,もくもくと煙が立つ.そんなふうにして削っているのが,百分の一ミリという精密な機械部品なのだった.

これはおれに向いていそうもない.それを知ったとき,わたしはもうひるんでいた.

そんなわたしにある日,旋盤工のひとりが声をかけた.

「お前に,百分の一ミリってのがどんなものか,教えてやろう」

そしてその職人は,わたしにまず,お前の髪の毛を一本ぬけという.つぎに自分のもぬいていいよと,作業帽子をとった.わたしは,おそるおそるその人の髪を一本ぬいた.

するとその職人は,その二本の毛を右と左の手に一本ずつ持って,拇指と人さし指の間にはさんでまわしてみろという.

「さあ,お前のとおれのと,どっちが太い」

そこでわたしが感じたとおりに,わたしの方が太いと答えた.ほんとうにそうか,と念をおしたあとで,職人はマイクロメーターを持ってきた.その測定器は,百分の一ミリの精度で測定できる.マイクロメーターにその毛をはさんで測ってみたら,わたしの髪は百分の八ミリで,職人のは百分の七ミリ,つまりちょうど,百分の一ミリだけわたしのほうが太かった.なんと,まだいちども旋盤のハンドルもにぎったことがないわたしに,百分の一ミリがわかったのだった.

「な.百分の一ミリなんて,そんなもんだ」

そのころ,一人前の旋盤工になるには,最低八年かかると聞かされていたわたしは,その道のりの遠さにもひるんでいたが,この職人のひとことで,百分の一ミリというものをとても身近に感じることができた.八年の道のりも,ぐっと近く実感することができた.

(小関智弘,町工場・スーパーなものづくり)

(ニーチェ)

(アラン,教育論)

入れものが無い 両手で受ける (尾崎放哉)

三ヶ月の留置のあと,鶴見は中立国スウェーデンの交換船で,日本へ送還された.留置体験は鶴見にとってアメリカの再発見だったが,戦中の日本への送還は,彼に「日本」を再発見させることとなった.

日本へむかう交換船には,上層から「まず外務省その他の官吏,財界人および家族,次に民間の会社員,官吏のつき人,学生という順序」で船室が割り当てられ,鶴見たち学生は船の最下層にすし詰めにされた.交換船は戦場となった太平洋をさけ,大西洋を横断してアフリカのモザンビークに到着し,そこで日本からやってきた船への乗りかえが行なわれた.そのとき人びとが示した変化に,鶴見は強烈な印象をうけた.船を乗りかえたとき,人びとは「急に日本人にもどった」のである.

日本船に乗りかえたあと,最初に行なわれたのは,日本からやってきた軍人たちが,開戦の詔勅と戦時の心得をアメリカ帰りの青少年に教えることであった.漢字熟語だらけの詔勅を聞かされた帰国子女たちは,「はじめてきくむずかしいことばに困っていた」.一五歳までしか日本にいなかった鶴見自身も,同様だった.そのときある女子学生が,アメリカでは良心的兵役拒否の運動があるが,日本でそれを話してよいかと軍人に質問した.

そのあとにおきた事態は,鶴見の予想をこえていた.船を乗りかえるまで,国粋主義の片鱗もみせていなかったアメリカ帰りの留学生が,その女子学生を非難しはじめたのである.それ以後は,留学生どうしでも「気を許して話しはできないという気分」が広まった.鶴見はこの集団転向現象に深い衝撃をうけ,こう回想している.

二ヶ月半の航海をおえて,私たちは,横浜についた.おなじ人間の集団が,誰ひとりさしかえられることもなく,そのまま,出発の時とは,ちがう人間として,船からおりた.一五〇〇人の動態社会学の実例だった.
それは,一つの国ともう一つの国とのすきまを旅した航海であり,二つの文化のすきまを旅した航海でもあった.……おおかたの人たちは,学生もふくめて,一つの言語からもう一つの言語にのりかえた.

(中略)

鶴見とおなじ交換船に乗っていた留学生のなかに,数学者の角谷静夫がいた.船のなかで鶴見は二〇歳を迎え,記念に手紙を空きビンに入れて流し,「世界のどこに流れついても読めるものにしよう」と学生たちで話しあった.そのとき角谷は日本語でも英語でもなく,自分で発見した定理を書いてビンに入れた.角谷によれば,火星人と交信するさいには「何語を使っても駄目だから,三角形を大きく地面に書いて,ピタゴラスの定理を示す記号をそれにくわえたらどうかという説がある」というのだった.その後の船内で,前述した集団転向現象がおこったとき,鶴見は特定の言語体系に縛られていない角谷に憧れを感じたのである.

(小熊英二,<民主>と<愛国>)

ケンブリッジに着いた翌日,家内と一緒に近所のスーパーに買い物に行ったら,頭をツルツルに剃り,ショート・パンツをはいて毛脛を出した比叡山の荒法師のような男がいた.その男が有名な数学者グロタンディックであった.

新学期がはじまった.グロタンディックの講義を聴いたが,さっぱりわからなかった.仕方ないのでノートにいたずら書きをしていたら,隣りにいたボットが覗いて,どうせそんなことだろうと思った,と言った.

(小平邦彦,ボクは算数しか出来なかった)

「このごろでは,解析学の始めに集合論を述べる習慣があります.これについても,不審があります.たとえば,絶対収斂(しゅうれん)の場合,昔は順序に無関係に和が定るという意味に用いられていました.それに対して条件的という語がある.今では,絶対値の級数が収斂する意味に使うのです.級数が収斂し,絶対値の級数が収斂しないときには項の順序をかえて,任意の limit に tend させることができるということから,絶対値の級数が収斂しなければならぬということになるから,それでいいわけだ.」少し,あやしくなって来た.心細い.ああ,僕の部屋の机の上に,高木先生の,あの本が載せてあるんだがなあ,と思っても,いまさら,それを取りに行って来るわけにもゆくまい.あの本には,なんでも皆,書かれて在るんだけれど,いまは泣きたくなって,舌もつれ,胴ふるえて,悲鳴に似たかん高い声を挙げ,「要するに.」きょうだいたちは,みな一様にうつむいて,くすと笑った.「要するに,」こんどは,ほとんど泣き声である.「伝統,ということになりますると,よほどのあやまちも,気がつかずに見逃してしまうが,問題は,微細なところに沢山あるのです.もっと自由な立場で,極く初等的な万人むきの解析概論の出ることを,切に,希望している次第であります.」めちゃめちゃである.

(太宰治,愛と美について)

If I had eight hours to chop down a tree, I'd spend six sharpening my axe. (Abraham Lincoln)

天使は自分を軽く考えているから飛べる.(チェスタトン)

犬馬難 鬼魅易.(韓非子)

有用性の観点はつねに狭い観点である.

(パース,連続性の哲学)

もしもいま何か大異変が起こって,科学的知識が全部なくなってしまい,たった一つの文章だけしか次の時代の生物に伝えられないということになったとしたら,最小の語数で最大の情報を与えるのはどんなことだろうか.私の考えでは,それは原子仮説(原子事実,その他,好きな名前でよんでよい)だろうと思う.すなわち,すべてのものはアトム――永久に動きまわっている小さな粒で,近い距離では互いに引きあうが,あまり近付くと互いに反撥する――からできている,というのである.これに少しの洞察と思考とを加えるならば,この文の中に,我々の自然界に関して実に厖大な情報量が含まれていることがわかる.

(ファインマン,力学)

人類の歴史という長い眼から,たとえば今から1万年後の世界から眺めたら,19 世紀の一番顕著な事件がマクスウェルによる電磁気法則の発見であったと判断されることはほとんど間違ない.アメリカの南北戦争も同じ頃のこの科学上の事件に比べたら色あせて一地方の取るに足らぬ事件になってしまうであろう.

(ファインマン,電磁気学)

(ファインマン,光と電子のふしぎな理論)

現れた調和より,現れていない調和の方がすぐれている.(ヘラクレイトス)

われわれは,学び知ってからなすべきはずのことを,なすことによって学び知るのである.

(アリストテレス,ニコマコス倫理学)

(アリストテレス,形而上学)

(トマス=アクィナス,兄弟ヨハネスへの学習法に関する訓戒の手紙)

(デカルト,方法序説)

(パスカル,パンセ)

数学者は一種のフランス人である.彼らに話をすれば,彼らはそれを自分の言葉に翻訳する.するとたちまち,それはまったく別のものになっている.

(ゲーテ,箴言と省察)

人は速さの中で思考できるだろうか?(ブルデュー)

どんな本を書いても,完結したという気になることはない.なぜなら,書き終える頃までには,少なくともそれがいかに不十分なものであるかがわかるだけは学習するからである.(ポパー)

Total science is like a field of force whose boundary conditions are experience.

(W. V. Quine, Two dogmas of empiricism)

いいかい.転校生と仲よくなるってことはクラス全体がすこしかわることでそうなるんだよ.

(いしいひさいち,現代思想の遭難者たち)

A seminar, as the word implies, is a place and an opportunity to sow a seed here and there, a seed of thinking which some time or other may bloom in its own way and bring forth fruit.

(Martin Heidegger, Identity and Difference, translated by Joan Stambaugh)

いずれの書を読むとても,初心のほどは,かたはしから文義を解せんとはすべからず. まず大抵にさらさらと見て,他の書にうつり,これやかれやと読みては,またさきに読みたる書へたちかえりつつ,いくへんも読むうちには,はじめに聞こえざりし事も, そろそろと聞こゆるようになりゆくものなり.

(本居宣長,うひ山ぶみ)

四次元のことを考えると眠れなくなる.(舞の海)

おくときには,つんではいけない.なんでもそうだが,とくに本や書類はそうである.横にかさねてはいけない.かならず,たてる.ほんとうにかんたんなことだが,この原則を実行するだけでも,おそろしく整理がよくなる.

(梅棹忠夫,知的生産の技術)

(村上春樹,スプートニクの恋人)

巨大なる「わからないの森」は,その実,「わかりうる一本の木」の集大成なのである.だからとりあえず,「わかりうるもの」を探す.手をつけるべきは,「こんなくだらないものの答が全体像の解明につながるはずはない」と思えるようなところである.

「くだらない」──だから「どうでもいい」と思って放り投げてしまうのは,それを「わかりきっている」と思うからである.つまりそれは,「わかる」のである.「わかる」は,「わからない」を解明するためのヒントである.つまりは,「くだらない」とか「どうでもいい」と思われるものには,「わかる」へ至るためのヒントが隠されているということである.

とりあえず「わかる」──どうでもいいようなことでも,とりあえず「わかる」と思えるようなことを確保する.それであなたは,「わかっている」のである.なにかが「わかる」になれば,「“わかる”とはどのようなことか」という理解が訪れる.

(橋本治,「わからない」という方法)

(熊谷守一,へたも絵のうち)

なんでもないものが,なんでもなくごろんところがっていて,なんでもないものと,なんでもないものとの間に,なんでもない関係がある.なんでもないものが,何故此の世に出現したのか,それを問おうにも問いかたが分らない.

(谷川俊太郎,定義)

もうすんだとすれば これからなのだ

(まどみちお,もうすんだとすれば)

僕は少年の頃 学校に反対だった.
僕は,いままた 働くことに反対だ.
僕は第一,健康とか 正義とかが大きらいなのだ.
健康で正しいほど 人間を無情にするものはない.
むろん,やまと魂は反対だ. 義理人情もへどが出る.
いつの政府にも反対であり, 文壇画壇にも尻をむけている.
なにしに生れてきたと問わるれば, 躊躇なく答えよう.反対しにと.
僕は,東にいるときは, 西にゆきたいと思い,
きものは左前,靴は右左, 袴はうしろ前,馬には尻をむいて乗る.
人のいやがるものこそ,僕の好物. とりわけ嫌いは,気の揃うということだ.
僕は信じる.反対こそ,人生で 唯一つ立派なことだと.
反対こそ,生きてることだ. 反対こそ,じぶんをつかむことだ.

(金子光晴,反対)


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