「結び目理論」理学部:河内明夫教授

目次

講義1:結び目理論とはどのような学問か

講義2:絡み目の絡み数

講義3:結び目・絡み目とブレイド(組ひも)の関係

講義4:ジョーンズ多項式

講義5:結び目・絡み目の標準的な例

講義6:ザイフェルト曲面とその不変量

講義7:コンウェイ多項式とスケイン多項式

講義8:グラフの結び目理論

講義9:4次元空間内の曲面結び目の理論(I)

講義10:4次元空間内の曲面結び目の理論(II)

講義11:4次元空間内の曲面結び目の理論(III)

講義12:これからの結び目理論

講義1:結び目理論とはどのような学問か

 初回のこの講義では, 結び目理論とはどのような学問か, ということについ て説明する. まず, 結び目理論についての日本語の参考書を挙げておこう.

  1. クロウエル−フォックス(寺阪・野口訳):結び目理論入門, 岩波書店  1967
  2. 河内明夫(編著):結び目理論, シュプリンガーフェアラーク東京(株)  1990
  3. 鈴木晋一:結び目理論入門, サイエンス社 1991
  4. 村杉邦男:結び目理論とその応用, 日本評論社 1993
  5. 河野俊丈:組み紐の数理, 遊星社 1993
  6. 小林一章:空間グラフの理論, 培風館 1995
  7. L.H.カウフマン(鈴木・河内監訳):結び目の数学と物理, 培風館 1 995

[1], [3], [4]は結び目理論の入門書である. [2]は本格的な解説 書で1990年頃までの主要な結果が収められている. [5], [6], [7] はそれぞれ結び目理論と密接に関係するブレイド(組み紐), 空間グラフ, 数 理物理の理論が中心テーマとして論じられている. 外国語の本や文献について は, 必要となる個所でその都度言及することにする.

 さて結び目(knot)とは, 普通ひもが図1−1の(2)-(5)のようになっ たものをさしており,(1)は結ばれていないひもの図である. (2)はひとえ結 び, (3)は8の字結び目,(4)は水引に用いられている結び目( あわび結び)と呼ばれている.

図1-1

 結び目理論の研究というのは簡単に言えば,

「2つの与えられた結び目が同じかどうかを判定すること」

と言うことができる. しかし, 少し考えてみればわかるように, どのような結 び目もひもの端からほどくことができるのだから, このままでは同じかどうか という考え方には曖昧さが含まれている. そこで科学的には, ひもの両端を素 直につないだ図1−2のような輪を結び目(knot)と呼んでいる. 特に (1)の結び目を自明な結び目(trivial knot)と呼ぶ. 数学的に言えば, それはつぎのように述べられる:

定義:結び目とは, 3次元空間 R^3(または3次元球面S^3)内の単純閉 曲線の図形ことである.

いくつかの結び目の集まりを絡み目(link)と呼んでいる(図1−3 参照:(1)をホワイトヘッドの絡み目, (2)をボロミアン環とい う). この講義では, 絡み目といえば, 結び目も特別の場合として含むものと する.

図1-2

図1-3

さて2つの結び目が同じであるとは, つぎのように定義される:

定義:2つの結び目(あるいは絡み目)K と K’が同じであるとは,空 間 R^3 の(右手系あるいは左手系)の向きを考えるとき,K を K’に移す ような同相写像(つまり上への1:1連続写像でその逆像もまた連続となるよ うなもの) h:R^3 →R^3 で,向きを保存するようなものが存在すること である.

この定義がわかりにくいという方でも, 次の定理のように言い換えるとよくわ かるだろう:

定理:2つの結び目が同じ結び目である必要かつ十分条件は, 図1−4の" ライデマイスター移動"という3種類の変形を何回か行って一方の結び目の形 を他方の結び目の形に変形できることである.

図1-4

つまり, あやとりの要領で同じ形に変形できるのであれば, それらは同じ結び 目であるとみなすのである.

 ところで, そのあやとりの変形を思い起こすならば,どのような結び目でも 容易にいくらでも複雑な形に変形できるのであるから, 例えば図1−2の (1)-(5)のどの2つの結び目でもよいが, それらが異なる結び目であることを 断言することは大変難しいことに気づかれると思う.
相異を判定するために普通行われている方法は, ライデマイスター移動で変わ らないような数量や代数系を見つけて, それらを比較して判定するという方法 である.
 このような数量や代数系を, 結び目の不変量(knot invariant)とい う. 結び目理論は, この結び目の不変量を開発・研究することを主要課題にし ている, といっても過言ではない:

結び目理論の主要課題:結び目の不変量を開発・研究せよ.

これからの講義でいくつかの代表的な結び目の不変量について解説していくこ とになるが, 2つの結び目が同じであるための必要十分条件を結び目の計算可 能な不変量の組合わせで表わす, という基本的問題は未だ解決されていない.
結び目というのは太古の昔からあるが, いつ誰が最初に科学の対象として意識 したかはわかっていない. ドイツのガウス(1777-1855)やその弟子リスティン グ(1808-1882)が興味を示した(例えば, 図1−2(3)の8の字結び目はリ スティングの結び目とも呼ばれている)ことと, 原始はエーテルが結び目 になったものというイギリスのケルビン卿(1824-1907)の理論(渦巻き原子説) が結び目理論に大きな影響を与えたことははっきりしている. 原子の構造が理 解され始め, ケルビン卿の理論が間違っていることが明らかになったのは約 100年前ですが, その頃からここ10年位前まで結び目理論はトポロジー(位相 幾何学)という数学の研究分野の中でかなり孤立した状態で研究がなされてき ました. 数学を使うメリットとしては, 多くの結び目・絡み目に対し, 精密な 計算によって同じかどうかを判定できる点にある. 図1−2の(1)-(5)のどの 2つも実際に異なる結び目であるが, そのことを知るには例えばアレクサンダー 多項式というおのおのの結び目に対して定まるような結び目不変量を具体的な 計算によって求めて, それらが実際に異なるのでこれらは異なっていると判定 するのである.
 結び目の対称性の研究は分類理論の特別な場合として永らく研究されてきた. 例えば, 図1−2(4) の水引用のあわび結び目は, 実に美しい対称性を持って います.それは周期性, もろて性, そして可逆性という 性質です. 周期性とは,図形を変形して, 結び目以外のところのある点を中心 にして回転するときに重なるようにできるという性質のことである. 例えば, 図1−2(2) のひとえ結び(三葉結び目ともいう)は図1−5のよう に変形すると, 原点0を中心とした3分の1回転で重なる. あわび結び目の場 合は, 4分の1回転で重なるようにできる.

図1-5

もろて性というのは鏡に映しても同じ結び目になるという性質のことである. 例えば,図1−2の(2) 以外の結び目はすべてもろて性を持つ結び目である (図1−6参照).

図1-6

可逆性というのは, 結び目のひもに向きをつけるとき2つの付け方があるが, 向きをどちらにつけても同じ結び目を表すという性質のことである. 図1−2 の(5) 以外の結び目はすべては可逆性を持っている. これらの結び目の場合に は, 図1−7の点線のように結び目と2点で交わるように線を引き, それを回 転軸として180度回転させると重なる, という方法で示すことができる.

図1-7

昔日本では結び目に魂が宿ると信じられていたためと言われてますが, こうい う美しい結び目によってお互いの人生の節目節目を祝うという, 真に文化的に 洗練された美風がわが国にはあるのです.

 さて, もろて性を持たない結び目の例として, 図1−2(2) の三葉結び目が あるが,これを最初に示したのは1914年にドイツのデーン(1878-1952) で あった. 周期性についても, 昔からいろいろな結果が知られている. 可逆性の 問題については, 1964年にアメリカのトロッターが初めて非可逆的結び目 の存在を確認するまで, その種の結び目の存在すらわからなかった問題である が, 問題自体はかなり古くから知られている. 1927年のアメリカのアレク サンダーとブリックスの論文に“結び目は必ずしも可逆的とは限らない”とあ り, その頃までに提起された問題であることは確かである. 図1−2(5) の結 び目(これは「8の17」と呼ばれている)については,最も簡単な非可逆的 結び目の候補として長い間知られていた. 実際にこの結び目が非可逆結び目で あることは, 1979年に私の方法とフランスのボナホンとシーベンマンによ る方法とで独立に確認したのが最初である(彼らの証明は未出版ですが, 拙著 「A Survey of Knot Theory (Birkhauser,Basel)」(1996)(420pages)にはその 両方の証明が解説されている). 結び目を研究するときには, それらの補空間 (つまり3次元球面から結び目を取り除いた空間)についてもしばしば考える. 1977年頃から,この補空間というものが, それぞれの結び目に固有な(3 次元宇宙と呼んでもよいような)幾何学を許容する空間であることがわかって きました. 「8の17」の補空間は非ユークリッド幾何学のひとつである双曲 幾何学を許容する空間であることが, サーストンやサリヴァンにより示された. 「8の17」の非可逆性の私の証明のアイデアは, この幾何学を用いて, もし この結び目が可逆的ならば, この結び目のアレクサンダー多項式は因数分解さ れなければならないという結論を導くのである. ところで, この多項式は既約 多項式なので, 「8の17」は非可逆的でなければならないことが示される.

 今日では結び目や絡み目はいろいろな科学現象の中で見い出され, 結び目理 論の重要性が増している. ここでは将来何度かコメントすることになるいくつ かのトピックスについて, 簡単に述べておく.

(1)DNAとは2重らせんのひもであるが, それを1本のひもと見るとき, 輪になることがあります. 1985年頃から生化学者達の遺伝子合成研究でそ の輪が結び目(DNA結び目という)になることがわかってきました. この研究では, もちろん結び目の分類理論が重要となる(というのはそれを知 らなくては何を合成してるのかわからなくなってしまうから).

(2)土星の輪のA環のすぐ外側にF環と呼ばれる輪がある. 1980年にボ イジャー2号がこの輪を撮影したのであるが, この輪は折れ曲がりほどけたひ どく使い古された糸のようだ, とジェット推進研究所の観測チームによりコメ ントされている. こうなる理由は不明であるが, この絡んだ輪(絡み目)の例 は結び目理論が天体力学や流体力学と結びつく可能性を示唆している.

(3)1985年頃から, 量子統計力学における分配関数に関連して生じる粒 子の相互作用についてのヤン・バクスター方程式の解が本質的に結び目や絡み 目の不変量を与えるという, 驚くべき事実が明らかになっており, 今や統計力 学, 量子力学, ゲージ理論と結び目理論の関連研究が精力的になされるように なっている.

(4)ストリング(ひも)理論とは時空に埋め込まれた曲面論と言えますが, この理論は講義予定である4次元空間内の曲面結び目の理論とはいずれ関係が つくだろうと思われる.

(5)高分子合成化学の分野では, 原子の共有結合により空間グラフ(分子グ ラフという)を形成するが, 結び目の非もろて性の判定問題の一般化である分 子グラフのカイラリティ(chirality)の判定問題は, 高分子合成研究の重要な 研究課題になっている.

(6)最近世間を騒がせている狂牛病も結び目理論と関係している可能性があ る. と言うのは, この病気は正常プリオン蛋白が異常プリオン蛋白に変わって ひき起こされるのであるが, αアミノ酸のペプチド結合による正常プリオンと 異常プリオンの(一次)構造は同じであることがわかっており, それらを細長 いひもとみなすとき結び目としての違いが影響しているのではないか, と疑わ れるからである.

(7)すこし変わったところでは, 人間の精神構造も結び目理論と関係がある と思われる. あの人は素直であるとか, あの人はひねくれているとか言う表現 は万国共通であり, それは人間精神をひもにたとえた表現と言えるのではない かと思える. 結び目理論を利用した“人間精神のモデル”は是非考えてみたい テーマである.

 数学研究の視点から一言コメントしておくと, 数学は他の自然科学の研究分 野とは一見無関係に見えますが, 結び目理論を例としてここで述べましたよう に直接的・間接的に他の自然科学の研究分野とつながっている. また, そのよ うなつながりの中から新しい数学が創造され, 自然科学への貢献がなされてい るのである.

 結び目理論は, 日本では1950年代に寺阪英孝先生(1904-1996)(私の先 生でもあります)により初めて大阪で研究された学問であり, 来るべき21世 紀には基礎科学における最も重要な研究テーマの一つになるだろうと期待され ています.



 毎回講義の最後に, 私の弟(河内静魚)の句集「氷湖」「手毬」の中から一 句を選び掲載致します. 数学で疲れた頭を休めてください.

蟹の背の不思議な広さ春の雲      静魚

インターネット講座'97のページ

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