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前回のインターネット講座では、物質の電気的な性質である伝導性に関する話、特に典型元素だけで構成され、電気を流さないものと思われている有機化合物の結晶や有機高分子化合物であっても、電荷移動錯体を形成したり、電子やホールをドーピングすることにより金属的・半導体的な性質を示すことを学んだことと思います。今回は、電気的性質と並んで重要な物質の性質のひとつである磁気的性質について考えていきます。
はじめに物質の磁気的性質をこれから考えようとするとき、まず最初に何を思い浮かべるでしょうか。おそらく、古くから馴染みのある永久磁石を頭に思い描くのではないでしょうか。それ以外でも、身の回りを見渡せば、クレジットカードなどの磁気カードからビデオテープ・ハードディスクといったさまざまな情報記憶媒体、電化製品や電子機器のいたるところで組み込まれているさまざまなモーターなど、磁気的性質をもつ物質(磁性体)は現代社会のいたる所で活用されています。歴史的にも、天然に存在するマグネタイト(Fe3O4、磁鉄鉱)がお互いに引き合ったり、退け合ったりする性質を持つことを人類が知って以来、磁石は古くから身近な存在として、人々を魅了してきました。 多くの磁性体が身の回りで活躍していますが、それら磁性体を材料の点から眺めてみると、磁気テープや磁気ヘッドに主に用いられている酸化鉄粉末(γ-Fe2O3)やフェライト(鉄イオンとその他の遷移金属イオンを含む複合酸化物)、さまざまなモーターの回転子として用いられているサマリウム・コバルト磁石やネオジム・鉄・ホウ素磁石などの希土類系磁石に代表されるように、遷移金属元素や希土類元素を主な構成要素とするものばかりです。まわりには有機化合物のような軽元素だけで構成される非金属化合物が非常に数多く存在するにもかかわらず、それらは磁性とは全く縁のない存在でした。一見関係のないその有機化合物に磁性体のような磁気的性質を持たせることは可能でしょうか。可能であるなら、どのようにすればいいのでしょうか。以下では、有機化合物に新しい機能として磁性をもたせるにはどのようなことが重要であるか考えながら、有機化合物と磁性について述べたいと思います。 物質の磁性磁性の起源磁石を細かく分割していくとどうなるでしょうか。小さく分割された小片もやはり磁石としての性質をもちます。さらに分割していくと、最終的には磁石の構成要素である原子やイオンに辿り着きます。つまり、磁性現象は、磁気モーメントをもつ原子やイオンがお互いに相互作用することにより、巨視的な磁気モーメントが生じることに起因しています。磁石を構成する原子やイオンは、いずれも3d軌道、或いは4f軌道が完全に満たされていない遷移金属元素や希土類元素であり、それらの軌道中に存在する不対電子(荷電粒子)は、自転運動(スピン)をしながら軌道運動をしています。この運動に伴うスピン角運動量と軌道角運動量がもたらす磁気モーメントが、原子やイオンにおける磁石としての性質を発現する起源となっています。
磁性の分類磁性体は、原子やイオンがもつ磁気モーメントがお互いの交換相互作用によりさまざまな配列をしており、多様な磁気的性質を示します。磁気モーメントの配列の仕方によりその磁気的性質は細かく分類されますが、ここでは磁気モーメントが一定の秩序をもった配列様式をとる秩序磁性とそのような配列様式をとらない無秩序磁性にわけて、その分類を簡単に整理しておきます。
強磁性、フェリ磁性、反強磁性などの秩序磁性は、温度を上げていくと熱エネルギーによる擾乱に負けて秩序状態をとりえなくなり、常磁性的な無秩序状態に変化します。この秩序状態から無秩序状態へ変化する温度を、強磁性体やフェリ磁性体の場合はキュリー温度、反強磁性体の場合はネール温度といいます。 有機磁性自然界に存在するほとんどの有機化合物は、磁性の起源となる不対電子をもたない反磁性物質で、顕著な磁気的性質を示しません。そのため、磁気的性質をもたせるには、磁気モーメントの起源となる不対電子をもつ分子の構築が不可欠となります。そのような分子を作る考え方を示す前に、ここでは不対電子をもった分子由来の磁性と、もともと原子の性質として磁気モーメントをもつ遷移金属元素や希土類元素で構成される従来の磁性との違いについて、簡単に触れておきます。 従来の磁性体では、遷移金属元素や希土類元素におけるd軌道、f軌道にある電子スピンがもたらすスピン角運動量や軌道角運動量が磁性の起源になっていることを述べました。原子レベルでd軌道やf軌道はそれぞれ5重、或いは7重に縮重しており、複数の電子スピンがフントの規則に従って収容されることによって、原子は大きな磁気モーメントを生み出すことが可能です。遷移金属元素や希土類元素がもつ磁気モーメントは、いずれもFe・Co・Ni・Sm・Euなど元素が原子(イオン)の性質としてもっている磁気モーメントであり、天然に存在する磁性といえます。 一方、有機分子が示す磁性(有機磁性)は、不対電子スピンをもった分子から生まれる磁性であり、自然界に存在するごくわずかの常磁性分子を除けば、天然に存在するほとんどの分子ではもちえないものです。その意味で有機磁性は、人工的に作られたものといえます。そのような有機分子における磁性は、C・N・Oなどp軌道中にある電子スピン、特に非局在性が高く、有機分子のさまざまな機能性の発現に重要な役割を果たしているπ電子スピンが担っており、d軌道やf軌道中の比較的強く原子核に束縛された電子スピンによるこれまでの磁性とは性質的に異なっています。そして、有機磁性は分子を設計するという大きな自由度とそこから生まれる多様性から、これまでの原子由来の磁性とは異なる分子由来の新しい磁性現象を生み出す可能性を秘めています。 分子性の磁性体を構築するためには、分子がもつ不対電子スピンがお互いの磁気モーメントを相殺せず、全体として大きな磁気モーメントを形成する必要があります。それを実現する手法は、主として分子内アプローチといわれる分子内で電子スピンを揃え、大きな磁気モーメントを分子もたせようとする立場と、分子間アプローチといわれる分子間で電子スピンを揃えることにより磁性機能を発現しようとする立場に大別されますが、以下では、分子そのものに磁性をもたせようとする前者のアプローチを中心に基本的な考え方を見ていきます。 分子内アプローチ分子内アプローチは、多くの電子スピンを同じ向きに整列させ、分子に大きな磁気モーメントをもたせることにより、強磁性的な秩序を発現させようとするものです。このアプローチでは、化学結合様式が磁気的相互作用を直接コントロールすることになるため、どのような分子を作るかという分子設計の段階が最も重要となってきます。 多くの電子スピンを同じ向きに揃えるには、遷移金属原子のd軌道のような縮重軌道を分子がもつことが必要です。対称性が高い原子と異なり、π共役有機分子は幾何学的な対称性が低いため、原子におけるd軌道やf軌道のような高い縮重度を分子の幾何学的な対称性からもたせることは困難です。高い対称性をもつ分子の一つにサッカーボール型のフラーレン分子(C60)がありますが、この分子でさえHOMO、LUMOはそれぞれ5重縮重、3重縮重しているにすぎません。さらに、フラーレンは不対電子をもたない閉殻分子であるため、それらの縮重軌道を利用して大きな磁気モーメントをもたせるためには、電子を付け加えたり、取り除くことが要求されます。したがって、縮重軌道を増やすためには別の角度から新しい視点を取りいれる必要性が生まれてきます。
そこで考え出されたのが、π共役系の広がりを利用する方法です。この方法では、分子の幾何学的な対称性とは全く関係なく、分子の共役系がどのようなつながり方で構成されているか(π共役系のトポロジー的対称性)だけが鍵となり、縮重軌道を無限にもつ分子の設計が可能となります。その考え方については、少し長くなりますのでここでは省略します。次のページで簡単な解説を行っていますので、参考にして下さい。
1,2のような二価炭素(カルベン)を利用した有機分子では、これまでπ共役系を拡張し、多く二価炭素を分子内に配置した分子(ポリカルベン)が開発され、大きな磁気モーメントをもつことが確認されています。ポリカルベン分子としては、現在までのところ最も大きな磁気モーメントをもつ分子として下に示す分子3が報告され、18個の電子スピンが同じ向きに整列することが確かめられています。ポリカルベン分子以外の有機分子では、最近4に示したようなアリール型ラジカルを多数配置した分子、同様の共役系を高分子に拡張したラジカル高分子(5)が合成され、ポリカルベンを超える大きな磁気モーメントをもつことが報告されています。4では、24個の不対電子が整列することが期待されますが、一分子当たり平均21個の不対電子スピンが揃っていることが磁化測定で確認されています。一部にラジカルになっていない部分が含まれているようです。また、5では平均80個以上の電子スピンが高分子の鎖内で揃っていることが示唆されています。これは、原子の縮重したf軌道がもちうる平行電子スピン9個をはるかに凌ぐもので、分子設計の自由度が生み出す一つの可能性を示したものといえます。
分子間アプローチ分子間アプローチは、不対電子をもつ分子を構成要素として、不対電子が分子間で同じ向きに揃うような分子性結晶(強磁性結晶)を構築しようとするアプローチです。これは、主として結晶中における分子間の軌道の重なりを制御することに力点が置かれ、前回のインターネット講座にあるような有機伝導体の開発で用いられた手法に近いものです。このアプローチでは、これまでに磁性の担い手としてニトロキシドラジカル、TEMPOラジカル(2,2,6,6-tetramethyl-1-piperidinyloxyl)のような局在性の高い安定ラジカルを導入した分子で構成される多くの分子性結晶が、結晶構造と磁性の観点から系統的に数多くの研究が行われ、分子配向と磁気的な分子間相互作用の関係について明らかにされてきました。
このアプローチでは、磁性そのものを左右する分子配向の制御を置換基の導入など分子の化学的修飾に頼らざるを得ない点に難しさがありますが、下に示すp-ニトロフェニルニトロニルニトロキシド(p-NPNN)の分子性結晶(β相)が強磁性体(キュリー温度:0.6K)となることが1991年に発見されて以来、近年の精力的な研究により強磁性体となる物質が報告されています。しかし、分子間の弱い相互作用に磁性のコントロールを託すことから、これまでに報告されている有機強磁性体のキュリー温度はいずれも1K(-272K)程度と非常に低いものです。そこで、現在では伝導電子を介して磁気的相互作用を高める方法などの新しい磁気秩序発現の機構を導入・開発により、キュリー温度を改善する試みが進められています。また、構成要素がモノラジカルである必要はなく、上で述べた分子内のアプローチを取り入れた新規な安定有機ポリラジカルの開発と、それらの分子集合体の磁性研究が盛んに行われています。
このインターネット講座では、有機分子と磁性の話について書いてきましたが、無機化合物においても、マンガンの12核錯体などのように、原子レベルでは到底考えられないほど多くの平行電子スピンをもつ遷移金属多核錯体が開発され、磁化曲線に巨視的な量子トンネル現象が観測されるなど化合物(分子)由来の新しい物性が現れていますし、有機ラジカルと磁性金属の交互鎖で作られる複合型の磁性体も開発されています。最近では、有機伝導体のもつ電気伝導性と遷移金属錯体分子由来の強磁性が共存するシステムや反強磁性と超伝導が共存する合成金属が開発されるなど、磁性機能だけでなく伝導性や光機能性などとの機能の複合化や、そしてそれらの協同現象から生まれる新たな物性の探索が進められています。 近年、微細加工技術やエレクトロニクスの進歩により、コンピューター産業で見られるように磁気記憶媒体の高密度化・小型化、演算処理能力の向上がサブミクロンオーダーで飛躍的に進行していますが、電気的・磁気的機能などを分子レベルで自由に制御できる物質・分子素子が実現すれば、単に空間がナノ(10-9)メートルオーダーになることによる高機能化だけでなく、空間が小さくなることにより現れる新しい量子効果・量子機能を利用した新たな技術革新につながるのではないでしょうか。それは、20世紀においてエレクトロニクスが現代における人々の生活を変えてきたように、21世紀における新しい次世代技術の一端を築いていくと思います。
佐藤 和信
sato@sci.osaka-cu.ac.jp 参考書
本文で紹介した物質に関する文献
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