その3 宗教と民族性
 私がパキスタンについて一週間後,ラマザン(断食月)が始まりました。この期間中,主だった職場の勤務は半ドンです。お昼になったら,みんな帰ってしまいます。研究所は朝8時に仕事が始まるのですが,午後1時には,皆帰宅します。私たちの滞在できる期間は長くないので,関係者には残業してもらったのですが,それでも,午後4時には終わります。でも,考えてみると,実はこれはふだんよりよく働いているのです。ふだんの勤務時間は8−4時ですが,その間に朝のお茶の時間と,少し長い昼食の時間がはいります。ラマザン中は,これらの休憩がないので,彼女らは8時間ぶっ通しで働いていたのです。夜が明けてから食事をしていないのですから,これは相当がんばっていたのだと思います。私たちがいなければ,ここまでがんばってはいないかも知れませんが,やる時はやる人たちです。
 そんなわけで,彼女らはけっして怠け者ではありません。でも,4時を過ぎては絶対残業しません。彼女らの説明によると,家まで帰るのに1時間かかる。ラマザン中の食事は日没の5時過ぎに始まるので,それまでに帰宅しなければいけない,というのです。この期間中,日没と同時に始まる夕食は,可能な限り,家族と一緒にとるというのが,彼等のやり方なのだそうです。5時頃,車で街を走っても,道はとてもすいているし,歩いている人もあまり見かけません。私は一度,ノシーンさんのお宅で,この日没後の食事をごちそうしていただいたのですが,家族がくつろいで,とても平和な雰囲気でした。そして,食後,各々がやりたいようにお祈りしているのです。この一ヶ月は,日没時には家族が揃うので,夜の時間をだんらんして過ごすことも多いのだそうです。
 お祈りは生活の一部です。フィールド調査中も,祈祷所を見つけると,静かにそこへお祈りをしに行きます。研究所で実験していても,ふと見ると天秤室でお祈りしていたりします。ノシーンさんが実験室の水道で顔を洗っているので,“薬品が顔にかかったのか?”と心配して聞くと,“これからお祈りするのだ”といわれて,笑いあったことがあります。たいていは,誰にもいわずにお祈りしに行くものですから,慣れるまでは,“いなくなった”と慌てて探しにいったりしました。彼女らにはけっこう迷惑だったかも知れません。
 私たちの車の運転手のダーウッドさんも敬けんな人で,お祈りは欠かしませんでした。フィールド調査からの帰途,日没にさしかかりました。ドライブインのようなところにトラックの運転手たちが集まっています。そこで私たちも一緒に降りて,日没と彼の食事とお祈りを待つことにしました。ドライブインの人たちはチャパティを焼いたり,カレーの用意をして,準備に大忙しです。運転手たちは注文した料理を席に運びながら,日没を待ちます。私たちはその間,チャパティを焼くおじさんの手元に見とれたり,デジカメで写真を撮ってみせたりしながら時間を潰しました。そして,日没後,食事が始まり,その後,お祈りに出かけるのです。チャパティが食べてみたくなり,値段を聞くと,“もってけ”と2枚ただでくれました。ただだったからではありませんが,おいしかったです。その後,トラックの運転手たちにりんごももらいました。
 ある日,高速道路の上で日没が近づきました。サービスエリアに停まり,日没を待ちます。ダーウッドさんはモスクへ歩いて行きます。次々に自動車がやってきて,大型バスからは団体が降りてきて,男性はみなモスクへ行きます。サービスエリアに限らず,どんな場所にでも,モスクや礼拝所があるのです。
 この国の人たちは総じて人なつこくて平和主義者が多いように思います。“ムジャラフは嫌いだけど,戦争を回避したのはえらかった”という人がいました。“去年(2001年9月11日のテロ事件後),アメリカがこの国に厄介ごとを持ち込むまではもっと平和だった”という人がいました。宗教が平和で静かな生活を勧めていることが,根っこにあるからではないかと思いました。皆,親切だし,誠実に仕事をしています。強盗や殺人などの事件はどの国にでもあるもので,そのような事件から民族性を一般化することは危険だと思います。政権交代は血なまぐさい事件をきっかけに起こることが多い国ではありますが,権力者と国民をいっしょくたにしてしまうのもよくないと思います。
 この国には金持ちと貧乏人しかいないと言った人がいました。つまり,日本のような中流が大部分を占める国ではなく,日本ではとても裕福ととても貧乏に分類される人が大部分を占めるといった意味です。これは,たぶん本当だと思うのですが,貧乏な人に分類される人も,乞食までしないといけないほど切迫している人を除けば,そんなには苦に病んでいるようには見えなかったというと,見方が浅いといわれるでしょうか。お金はないけれど,ゆったりとした時間を家族と楽しんでいる,と私には思われたのです。お金を得ようとすると,貧乏人は時間を切り売りすることになります。失業率の高さがこの国の困った問題ではあるのですが,この国の人は日本人のように過労死するくらい働いてお金を得ることは,機会があってもしないだろうな,と思います。静かな祈りをさまたげられることの方を嫌うのではないでしょうか。そのような考え方をしているから発展途上国から抜け出せないということは簡単です。でも,先進国になる必要もないのではないかと,私は思うのです。
 人にはそれぞれの幸福があります。チャパティをくれたおじさんたちが,外国人だからふんだくってやれと考えるようになることが金持ちになる道だとしたら,それはあまり幸福ではないと思います。宗教が人を正直で誠実でいられるように導いていて,静かで平和な生活をもたらしているのだとしたら,それを失ってまで手に入れる幸福はないかも知れません。アメリカがこの国で嫌われる理由は,彼等が彼等の価値観を押し付けようとするからです。この国の人たちは,自分たちの宗教は持っていますが,それを私たちに押し付けることはありません。自分たちは断食中であっても,来客にはお茶とお菓子をもってくるのです。自分たちとは違った価値観で平和に生きる方法を知っている人たちの存在を認めあわないといけないと,感じたことでした。

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