ヘリウム3・4混合液の性質

希釈冷凍器の全体像が解ったところで、次は冷凍器の物理を解説する。

ヘリウム3・4混合液の相図

まず、ヘリウム3・4混合液の相図を記そう。横軸は、ヘリウム3の濃度である。この相図の特徴は

ヘリウム3濃度6.4%以上の混合液を冷却すると、0K付近の極低温において「超流動ヘリウム4中にヘリウム3が約6%溶けた希薄相(D相)」と「ヘリウム3濃度ほぼ100%の濃厚相(C相)」の2層に分離することが解る。絶対零度でも希薄相には6.4%のヘリウム3が溶け残る。これは、通常の混合液では見られない異常な振る舞いである。

「6.4%の溶け残り」

相分離するという物理は、二つの比重の異なる物質の混合液ではあり得ることである。しかし、絶対零度でも希薄相に数%溶け残るという物質はまれである。実は、これもヘリウム3・ヘリウム4原子の強い量子性に原因がある。

零点振動と束縛エネルギー

まず、ヘリウム3とヘリウム4原子の大きさの違いに注目する。ここでいう「大きさ」とは、いわゆるボーア半径のようなきっちりとしたコアをもつ球の半径ではない。液体中にある原子1個の大きさ、すなわち、零点振動を考慮しなければ行けない。ヘリウム3の方が、質量が小さい分、ヘリウム4よりも零点振動が大きいから、

「ヘリウム3原子1個が占める体積」 > 「ヘリウム4原子1個が占める体積」

となる。ということは、近接する二つの原子間の距離はについて考えると「ヘリウム3−ヘリウム3間」よりも、「ヘリウム3−ヘリウム4間」の方が短い。しかるに、ファンデアワールス引力vdwは純粋に電気的な力であって、ヘリウム3・4では殆ど同じである。だから、一つのヘリウム3原子にとっては、100%の液体ヘリウム3の中にいるより「隣にヘリウム4がいる(ヘリウム4がいくらか溶けている)」ほうが安定になる。

しかし、話はこれだけでは終わらない。なぜなら、上記の理論だけでは、相分離などせず、混合液のままでいたほうが安定になってしまう。しかし、現実には0.87K で相分離という劇的な現象を引き起こしてでも、C相(ほぼ100%ヘリウム3)を分離しようとする。

その理由は、液体ヘリウム3がパウリの排他律に支配されたフェルミ粒子系だからである。

希薄フェルミ気体の化学ポテンシャル

今、液体ヘリウム4に 個のヘリウム3原子を加えてゆくことを考える。これをまずは、真空にフェルミ粒子一つずつを加えてゆく作業であると考える。すなわち、「系にヘリウム3原子1個を加える」のに必要なエネルギーは化学ポテンシャルμ(n) であり、粒子数 の2/3乗に比例する。

   (1)

ここに、先に述べた「ヘリウム3は液体ヘリウム4中にあるとエネルギーが下がる」という現象を取り入れ、液体ヘリウム4中のヘリウム3の化学ポテンシャルFを以下のように書く。

    (2)

すなわち、εD(n)はある種の束縛エネルギーであり、粒子数に依存して絶対値が大きくなる量である。

さて、粒子を次々に加えてゆくと、Fは増大し、ついにはns で「100%ヘリウム3における化学ポテンシャルμ0」すなわち「液体ヘリウム3中にヘリウム3原子を一つ追加するのに必要なエネルギー」に到達する。

すなわち、ns 以上の濃度では100%ヘリウム3でいたほうが安定になる。この濃度が、6.4%なのである。

逆に、液体ヘリウム3中にヘリウム3を導入するのと、ヘリウム4を導入するのとでは、後者の方がエネルギー的に得である。だから濃厚相側におけるヘリウム4溶解度(相図の右下)は絶対零度でようやく0になる。

以上のように、絶対零度におけるヘリウム3・4混合液は全濃度6.4%以下であれば相分離せずにいる方が安定であり、全濃度6.4%以上の場合は「6.4%の希薄液(D相)」と「100%のヘリウム3(C相)」という2相に分離する方が安定であると言うことが解る。

希釈冷凍器の冷却能力

以上のように、希釈冷凍器の混合器(Mixer)の中では、絶対零度においてもC相とD相が分離しており、D相のヘリウム3濃度は6.4%が維持されている。

さて、C相はほぼ100%ヘリウム3だからフェルミ液体であり、そのエントロピーScは温度Tに比例する。一方、D相ではヘリウム4成分は超流動という基底状態であり、エントロピーは殆どない。6.4%の希薄ヘリウム3がフェルミ気体としてエントロピーを担うから、エントロピーSdもやはり温度Tに比例する。こうして、C相D相間のエントロピー差もやはりTに比例する。

希釈冷凍とは、ヘリウム3原子を強制的にC相からD相へ「蒸発」させることによって冷却能力を得る訳だから、C相D相間のエントロピー差が冷却能力に寄与する。すなわち、熱力学の法則によれば絶対零度まで

(3)

が維持されることになる。


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